第二話 ― 恨みを記す

恨みや憎しみを書き残す。個人の記録と公開文。

あの出来事を、済んだ話にされたくない。何を忘れたくないのかを確かめ、詳しい記録から人に読まれる文章を作る。

「嫌だった」だけでは、あの場で起きたことが抜け落ちる。けれど、最初から全部を書くと、何を残したかったのか分からなくなる。恨みや憎しみを書き残すなら、まず今も引っ掛かっているやりとりを一つ書いてみます。人に見せる文章へ直すときも、元の記録は手元に残しておきます。

言葉を穏やかにすれば、伝えたいことが伝わるとは限りません。「悔しかった」を消さずに、どの出来事について書いているのかが読める文章にする。その後で、公開するために外す情報を確かめます。

「許せない」の先に、何があったのかを書く。

「許せない」と書いたら、次の行で「何がいちばん残っているのか」と問い掛けます。言われた内容か、人前で言われたことか、笑って受け流したために平気だと思われたことか。同じ出来事でも、書き手が残したいところは違います。

書き出しの例

あの一言を、まだ許せない。
冗談だったかどうかより、私が嫌だと言った後も笑われたことが残っている。

この文章で中心になるのは、冗談の内容よりも、嫌だと伝えた後のやりとりです。続けるなら、相手がどう返したか、そのとき自分は何を言えなかったかを書きます。何年前から知っている相手か、どんな性格かまで説明を広げる前に、その場面を読めるところまで書いてみます。

どこが一番嫌だったのか分からなければ、思い付く順に書いた後、読み返して手が止まる一文に印を付けます。「あの場では笑っていた」が気になるなら、そこから続きを書く。書き始める前に、出来事の意味も文章の結論も決まっているとは限りません。

元の記録を残し、公開用の原稿を作る。

日付や会話の順番は、後で経緯を確かめる手掛かりになります。一方、人に見せる文章では、経緯を説明する細部が人物の特定につながることもあります。元の記録を複製し、公開する方だけを直します。

自分のための記録
日時、見聞きした内容、そのときのメモを残す。直接確かめたことと、伝聞・推測を区別する。後から読み返して状況が分かる情報を保つ。
人に見せる文章
今も残っている一場面や言葉を中心にする。氏名、所属、連絡先、特定につながる日時や画像を見直し、自分にとって何が嫌だったのかを伝える。

ファイル名も「経緯の記録」と「公開用の下書き」にしておくと、どちらを直しているか確かめられます。記録の保存先が、家族や職場との共有場所になっていないかも確認します。

ネット上の誹謗中傷について相談する資料を残す場合は、文章の読みやすさより、掲載されていた内容を確かめられることが大切です。警察庁は、サイト名、URL、投稿者、日時、内容などを記録するよう案内しています。相談に使う記録を、公開文の推敲と一緒に書き換えないようにします。出典:警察庁「掲載された内容の記録」

起きたことと、そう感じた理由をたどる。

怒りを書いていると、見たこと、相手の意図についての推測、今の気持ちが一文に重なることがあります。読み返して何が起きたのか分かりにくい箇所を、一度ほどいてみます。

推敲の例:話を途中で切られた場面

最初の下書き
私が話している途中で別の話題に移って、最後まで聞くほどの話ではないと見下された気がして、話を戻してほしかったのにと思うと今も腹が立つ。

書き直した下書き

私が話している途中で、別の話題に移った。
最後まで聞くほどの話ではない、と扱われたように感じた。
今も腹が立つ。あの場では、話を戻してほしかった。

話題が変わったことは、書き手が見た出来事です。「見下された」は、その出来事から受け取った意味。二つを書き分けても、怒りを弱めたことにはなりません。読み手は、何があって、なぜ腹が立ったのかをたどれます。

ただし、推敲のために記憶を足さないことも大切です。「嫌だと言った」と覚えていないなら、そう言ったことにはしない。正確な言葉を覚えていなければ、かぎ括弧で会話を再現せず、「話を続けようとしたが、戻せなかった」のように覚えている範囲を書きます。

最後に一度、書き出しへ戻ります。「今も腹が立つ」を先に置いた方が自分の文に近ければ、その後に場面を続ける。出来事、受け取り方、気持ちの順に整理した下書きを、その順番のまま見せるとは限りません。

人物の手掛かりを減らしても、文章の具体性は残せる。

匿名で掲示板に書くときも、実名を伏せるだけでは足りない場合があります。所属、役職、珍しい出来事、別のSNSの投稿を重ねると、人物が分かることがあります。警察庁も、複数サイトの情報による特定の可能性を案内しています。出典:警察庁「被害防止対策」

とはいえ、細部をすべて削れば「嫌だった」「許せない」だけになる。人物の紹介を減らす代わりに、その場で自分がどう振る舞い、何を言えずにいたかを書きます。

推敲の例:笑ってやり過ごした場面

公開前の下書き
先週の係の集まりで、まとめ役の人に冗談だと笑われた。会が終わるまで笑っていたけれど、帰ってからも腹が立った。

書き直した本文

その場では笑って流した。帰ってからも腹が立った。
どうして笑ったのかは、うまく説明できない。でも、平気だったからではない。

ここでは日時と役割を外し、「笑っていた」と「平気だった」の違いを残しました。もし「空気を悪くしたくなかった」と思い当たるなら、それを書き足せます。理由が分からないなら、分からないままの文章にしておく。もっともらしい理由を作るより、今書けることがどこまでかを示します。

書き換えた文章も、事情を知る人には分かることがあります。公開用を読み返すときは、共通の知人が読んだらどの部分で相手を思い浮かべるかを確かめます。そこで外せない情報があり、知られたくもないなら、その原稿は手元に置いておきます。

「同じ目に遭わせてほしい」など、読み手に相手への行動を求める一文がある場合も見直します。残したいのが「私は今も許せない」という気持ちなら、その文自体で伝えられます。

投稿欄へ移す前に、本文と添付画像を読み直す。

公開する原稿ができたら、投稿先で編集・削除ができるか、その条件を確認します。写真や会話画面を添える場合は、本文から消した名前や日時が画像に残っていないかを見ます。元の記録を、そのまま添付資料として付けないようにします。

個人情報保護委員会は、公開した画像などを完全に削除するのは難しいと説明しています。「後から消せばよい」と迷っている画像まで載せず、今回は載せると決めたものだけを投稿欄へ移します。出典:個人情報保護委員会「個人情報を考える週間」写真・動画の投稿

後日、考えが変わったら、手元の記録に日付を付けて続きを書けます。「あの日はこう思っていた。今日はここが違う」。以前の文を消して新しい気持ちにそろえるより、変わったところを読み取れる記録になります。公開済みの文も直したくなった場合は、投稿後の編集・削除・追記の確認を参考にしてください。

最後に、本文から短い題を拾う。

題を先に決めると、その言葉に合うように本文を整えたくなることがあります。書き終えた後で、消したくない一文を選んでみます。「笑ったことを、平気だった証拠にされたくない」なら、仮の題は「笑顔」。別の題にすると違う意味に読めるか、本文と行き来して確かめます。

『零時呪いの刻』の札も、短い題と本文を組み合わせる形式です。札の題として二文字に収めるなら「笑顔」、言い返せなかった一言を中心にするなら「残響」などが例になります。題だけで事情を説明し切ろうとせず、本文に何が書かれているかをもう一度読んで決めます。札の文字数や投稿の手順は、作品の体験案内にまとめています。

札にする原稿は、公開する範囲を確かめてから残します。詳しい経緯まで載せる必要はなく、大切な記録は手元にも保管してください。手元で実際の出来事を書いている原稿には、まだ題がなくてもかまいません。残したかった一文が書けたかどうかを、まず読み返します。